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2010.02.12

what are you?

 驚きましたが、英語で『宗教は何ですか?』と聞く時に、表題のように『what are you?』と聞くそうです。日本人だったら、personalityの事とか職業の事とか考えなもんですが、これだけで宗教の事を聞かれているんだとわかるそうです。

 私の先生は日本にいたことがあるので、ある程度日本人も日本もわかっています。大方、宗教なんて無いよと言う日本人はどんな感じがしたか聞いてみました。
 最初は驚いたそうですが、しかしながら日本で過ごしていくうちに、日本人は特有の宗教は持っていないけれども、信仰心はアメリカ人、少なくともcaliforniaの人間よりは強いんじゃないかと思うようになったそうです。


 something great、何か偉大なものを感じて敬う感覚が日本にはあります。山であったり朝日であったりするわけですが、それが何だと言われるとなんでしょうねとなるのが日本人です。それを一応、800万ほどの神様として定義づけているのが神道でありますが、しかし神道を信じたからそれを畏怖したわけではなくて、先に畏怖し敬う気持ちがあるわけです。後から、ああ、これって神道的な感覚なのね。たぶん大方の日本人はこんなもんでしょう。

 仏教においてもそうです。自分とはなんぞや、世の全て、つまり仏教で言う宇宙と自分との関係はなんぞや。幸福とは、愛とは、我々はどこから来てどこへ行くのか。南無三。
 みたいな自己問答が先にあって、どうもこれは仏教っぽい感じだなとなって仏教を知るような感じでしょう。もちろん小さい頃からの日常の振る舞いに仏教的なものは入っていますが、しかしどうも日本人の仏教感は信じてそこで終わりというよりも、問いを投げかけられているような気がします。だから、昔奇跡が起きてねとなった瞬間に、はいそうですかと引いてしまうのが日本人です。
 誰か偉大な人がいてくれなくてもいいわけです。大事なのは自分が何ものか、何をすべきかを問う為に宗教はあり、その研鑽の為に人生はあるわけです。

 これは30代の私だから感じているのか、それとも日本が大体そうなのかわかりません。もしかしたら私だけかもしれませんが、何となくこれまでの人生で日本人と話していて、みんな大体こんな感じかなという気はしています。


 特定の宗教が無く、信仰心が有る状態は、AmericanのNancyから見るとspiritualなんだそうです。日本はspiritualの国だと言っていました。何となくspiritualと言われると、いわゆる現代で言うspiritualと思ってしまいますが、話をしていくともう少し深い感受性を持っている状態のような感じで言っているような気がします。

 何かを信じるから自分が形作られる事と、信じられる何かを探すから自分が形作られる事。そんな風に違いを感じています。

 今日も日本人は尋ねます。

『what am I?』私は何ものでありましょうか。

2010.02.12 | 固定リンク | コメント (5) | トラックバック (0)

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Comment

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為末さん、こんにちは☆

フフ、為末さんって、ほんと真っ直ぐなお方ですね。
時々その真っ直ぐさが怖くなる時があります。
済みません、話を曲解してしまいまして、後でじっくりと読ませて頂きますね。
またね☆

前回のメッセージも大変興味深く読ませ頂きました。
後ほど☆


投稿者: (・^-^・)☆ (Feb 12, 2010 6:35:37 AM)

確かに日本人は無宗教ですが、勝負事や試験など大切なことがあるときは「神様お願いします」と祈る傾向があると思います。私も実際よく神様にお願いするときがあります。
為末選手がおっしゃるように私も自分とは何者かということをよく考えます。でも考えても答えが出ず、頭の中でぐるぐるまわっていつのまにか違うことを考えています。人間は悩む動物なのですね。

投稿者: ペコ (Feb 12, 2010 7:22:07 PM)


『 You are you.
and・・・』

いつか☆

投稿者: (・^-^・)☆ (Feb 13, 2010 6:01:25 AM)

「アルプスの少女ハイジ」は、ヨハンナ・スピリの原作はキリスト教の信仰色の強いものでした。
これを、日本人にも分かりやすいよう、宮崎駿監督たちが「もみの木」(自然信仰)に置き換えたのだそうです。
日本人にとって、something greatはイエス・キリストじゃなくて、自分の周りにある自然です。

ちなみに、日本の神社に祀られているものは、
①皇族の方々(明治神宮など)
②歴史的偉人(天満宮など)
③自然や動物(稲荷神社など)
主に、これらの3つに分類できるのだそうです。

投稿者: シロ (Feb 14, 2010 11:40:46 AM)

最近、順不同でコメントしていますが。
「豊かさ」の記事の「得体が知れている」や、「アスリートは社会的なロールモデルになるべきか」、さらに日本人の仕事に対する価値観との関連でのコメントです。

「霊性を大事にしているけれど特定の何かを信じているわけではない」というタイプの人間だったら、「自分が何者か」はさして問題でもなく、重要とも思わないでしょう。「得体の知れない存在」であっても、人にいちいち説明しようとは思わない。一般的に日本人が「説明なんかしなくても分かるだろう」と考えて、説明するのもされるのも、面倒なことだと考えてしまうのもこういった事と関係してくるのかもしれません。「自分の宗教は○だ。何故自分がそれを信じているかと言うと・・・・・。」こういった説明をする人間は日本では「ウザイ奴」とみなされるでしょうし、そんな説明を聞かされるのも「ウザイ」と受け取られやすい。

しかし、逆に考えるとその What are you? の部分の説明だけちゃんとできる人間だったら、それ以外のこと、例えばアスリートのロールモデルや、スポーツを愛すべきか、仕事や勉強を愛すべきか、について「ウザイ説明」なんかを他人に対していちいちしてやる必要もなくなる。どういう考え方をしていようが、どういう価値観で生きていようが、「私と神」との間の問題であり、他の人間が口をさしはさむような事ではない。

良いか悪いかは、このコメントで特に問題にする気はありませんが、What are you? の部分がハッキリしているならば、他人の文句など気にする必要もないので「便利で楽」とも言えます。他人が文句を言いたければいくらでも言えばいいし、他人には文句を言う「愚行権」がある、という考え方とも通じるのかもしれません。

投稿者: falco (Jun 18, 2010 1:56:21 PM)

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