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2007.12.03

愚行権

 これは愚かなことを行う権利と読みます。音としてはグコウケンと発するみたいです。あまり聞きなれない言葉ですが、この言葉を意味を知ってからいろいろと考え込むようになりました。
 
 字としてはあまり良くない言葉に思えるこの愚行権は、ちょっと難しい意味を含んでいます。自分に危害を加えられた場合を除き、相手の愚かなことをする権利を認めなさい、というのが愚行権です。
 例えばどうにもあの人の髪型が気に入らず文句を言う事、前の車の運転が気に入らずクラクションを鳴らしてしまう時。なんかむかつくけども、相手に何か意地悪されたわけでなければ、それは相手の自由として許容するという事が愚行権になります。
 
 愚行権とは文化も入ります。日本のご近所づきあいの大変さ、主張の弱さ、それからみんな同じような行動を取ること。これが外国人に指摘されたりしますが、これも愚行権の侵害に入ります。同じようにイスラム文化のラマダンだったりブルカをかぶる権利を侵害してしまう事も愚行権の侵害になります。明らかにこちらに不利益な行動をとっていない限り、相手の大事にしているものは尊重しましょうという、恐らくは東洋的に言えば寛容の精神に当たるものが愚行権です。他者の尊重です。
 国際問題はこの愚行権の範疇に、国家の選択の一つ一つが当たるのかどうかが分からないという点に難しさがあります。それはこの「危害を加えられなければ」という一文によります。
 相手に危害を加えられないのであれば相手を受け入れるのが愚行権なのですが、どのタイミングで相手が危害を加えるのかが国際社会では判断がほぼ不可能といえるぐらいややこしくなっています。ミサイルを打った瞬間なのか、それとも構えた瞬間か、もっと言えば外交官が発言した瞬間か。人によってはどのタイミングで危害を加えようとする意図があるかを判断する基準が違うからです。
 
 このタイミングの取り方、ないしは行動の意味の取り方で、人々はいろんなポジションをとります。早いタイミングで愚行権の範疇を越えたと見る人はタカ派と呼ばれ、愚行権をもっと大きな範疇で見ている人はハト派と呼ばれています。
 あまり愚行権を貫き過ぎれば、社会とのかかわりを一切持たない世界になってしまいます。相手のやる事、存在一切を無視してしまいかねません。
 金八先生などはある意味、愚行権の侵害の連続かもしれません。けれどもそれに我々は温かみを覚えます。愛があれば愚行権の侵害も愛情になります。
 
 一度、何かに腹を立て始めれば、隣の人間のしゃべり方すら腹が立ってくることになってしまいます。とにかく世の中の、自分の理解できない範疇のことは、全部許せないという事になります。これは愚行権を一切認めていない世界です。これもよくありません。喧嘩がたくさん起きることになります。
 寛容と他者への興味の挟間、そこに愚行権は存在します。国際化が進む今、バランスが難しい。最近それを考えていました。

2007.12.03 | 固定リンク | コメント (14) | トラックバック (0)

Comment

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大なり小なり「愚行権」、、、奥が深いです。
自分は、、行使しすぎかな、、、反省。。。

投稿者: WING (Dec 3, 2007 9:19:59 AM)

ストーカーや、例えば原子力発電所(放射能が漏れなければいいという考えの人)とかも、愚行権にあたるのかなと。欲ばって、必要だからといって、思いやりがない、見失うと陥ると思いました。(身近な例は、環境問題の自分でできるだろうエコのこととか)。
時には自分のこともだけど、相手や、他のひと・物植物・動物などなどのことを本気で、付き合う、向き合う、見届ける、責任を持つ、自分のことのように思うこと。理解すること。一見ムカッとくることも、よく考え、どうしたらいいか、最善策をかんがえ実行すれば、(自分の正しいと思う意見を押し付けるのではなく)いやな人と思っても、関係が、改善されることもあるとおもう今日この頃、とっても愛や、やさしさ、がないとつづきません。たとえそれが簡単なことであったとしても、やさしさをつらぬくには、強さが必要だと思うのです。為末さんも、陸上競技で、繰り返し練習をつんでいますが、同じではないでしょうか?それと、一流だから、別格なのではなく、だれもが、一人一人違う、特別な存在だし、一流になろうと思ったら、それなりのことをしなければならないと思う。もし一流になったら、天狗になるのでなく、欲張るのではなく、ひとりのにんげんとして、時には不可能といわれていることにも挑戦しつつも、自分でできることを、大切なことを、愛をもって、いけばいい。そう思った。
私は、まだまだだけど、こころがけを実行し始めています。

投稿者: 4090 (Dec 3, 2007 11:08:17 AM)

こんにちは。
初めて「愚行権」という言葉を知りました。
為末さんはどこで学んだのでしょう??

幅広い意味で理解でき、とても難しいですね。
「いじめ」を「本人が苦痛と感じればすべていじめ」と
いうのと似た感じかなあ、なんて思いました。
さっそく、辞書を開いてみます。

投稿者: さえ (Dec 3, 2007 12:04:39 PM)

こんにちは。合宿お疲れ様でした。
愚行権という言葉を初めて知りました。私の頭では為末さんが仰る国際的なバランスのとり方を考えるところまではいきつくことができませんが、身近なところで相手の行動や言動に対し、自分に害はないのだけれどこういう事は流してしまっていいのか、一言いうべきなのかと自問自答する事がよくあります。自分に置き換えてみて嫌な気持ちにならないかな、と考えてみると行き着くのはその相手との信頼関係がどれくらいなのかで決まる気がしました。自分は自分、他人は他人と割り切ってしまうのも淋しいですし、でも寛大な気持ちをもって、時には目をつぶることや、喉元で飲み込んでしまうことも関係を築くには必要なのでしょうね。十分大人なのですが、大人になることは難しいです。

投稿者: nori (Dec 3, 2007 2:22:44 PM)

初めてこの言葉を知りました。
そして、この言葉が意味することを思いつくことも今までなかったと思います。
私は、他人の行動や言動に対し、たとえ自分自身がすることのない行動や言動であっても、受け入れています。
私に対するいやがらせであっても、思いやりであっても、その人の意図することを理解しようと思うからです。そういう考え方もあるな・・・って。
だからと言って、私自身の行動や言動を周りの人に全て受け入れて欲しいとは願いません。
しかし、知らず知らずのうちに、私も誰かに不快を与えているのかもしれませんね・・・・。
反省いたします。ごめんなさい・・・・。

投稿者: yukimonchi (Dec 3, 2007 5:49:33 PM)

「愚行権」・・難しい内容でした。一度では理解できずに何度か読み「相手の愚かなことをする権利を認めなさい」とは少し異なりますが、道徳、倫理、価値観などということを頭に思い浮かべながら読みました。
私は「なぜそうするのか」と他の人の行動に疑問を感じたり、時にはイライラとしたときに、悪気があるわけじゃないんだ、価値観の違いなんだ、自分の思うとおりにしようとすること自体自分のわがままなのかなと思うことがあります。
しかし、明らかに道徳的に反した行動に対してはそれを伝えていきたいなと思います。道徳に反しているかどうかを判断するのも価値観なのかな・・と思ったりしますが。。。
しかし、国際的な判断となると、とても難しいですね。文化や環境が様々ですしね。ただ、人としてそれぞれが人を大切にすること、人を尊重することを心がけて行きたいなと思います。特に子どもたちにはそれを伝えていきたい、と思います。

難しい内容であると感じましたが、いつもいろいろ考えるきっかけをいただける為末さんのメッセージが大好きです。これからもよろしくお願いします。

投稿者: mimi (Dec 3, 2007 7:14:46 PM)

小さな事でイライラしたりしている
自分がアホに思えてきました^^;

合宿お疲れ様でした!
これからもお怪我をしないことを祈ります^^ノシ

投稿者: まさひろ (Dec 3, 2007 9:04:57 PM)

何はともあれ、日本は今、世界一愚行権が横行している(つまり寛容すぎる)国であることは間違いありません。

投稿者: シロ (Dec 3, 2007 11:06:43 PM)

愚行権の範疇と個性的の範疇の違いが本当に難しいのですね。。。

国際的バランスなどというレベルまでは、到底考えもつきませんが、
自分の愚行権と隣人の愚行権の適度は間隔の図り方というのは、私にとっても、社会で生きていく上での、永遠の課題なんですね。。。

そこまでは、なんとか理解できたのですが、、、

日本人一人一人がすべきことは???

余談で申し訳ないのですが、
インタビューなどで、専門的な英単語を並べ立て、その上、動詞までも英単語というような、政治家や専門家がいますが、あれほど愚行権の行使を彷彿させるものは、ありません。。。

でも、ルー○柴さんはなぜか許せる。。。


投稿者: あき (Dec 3, 2007 11:31:52 PM)

ごめんなさい。愚行権の意味をすこし取り違えていたようです。むずかしー。でも、私のコメント、少しでも、わかってもらえたでしょうか?相手の理解が、必要であることではないかと思います。

投稿者: 4090 (Dec 4, 2007 12:41:14 AM)

私の場合、ひとから何か言われることに、不快に感じることにかんし、ものすごーく寛容でないと、ものすごい反発反感を買い、生きていけないほどの、生活できないほどの、身体と、こころに、危害と、ダメージ受けるのです。だから、相手を理解しようと、つとめています。で、相手の言い分も、わかるだけに、つらい。でも、そこから見えてくるものがあります。ただ、まだ、決定的な、解決策が、見つからないのと、遠まわしなことでも、実行が、追いつかないのが現状です。できることがまったくないわけではないので、日々あゆんでいます。

投稿者: 4090 (Dec 4, 2007 1:06:30 AM)

‘愚行権’グコウケン、初めて耳にする音であります。
でもこうまじまじと聞くと難しゅうございます。
がしかし、世の中にそのような権利があること、もっと早くにワタクシに御知らせ、御申し下さいませよう。
ともすれば威風堂々と貴方の処まで駆けつけまするうえ、貴方をそっと押し倒し我が身を託す直前まで連夜愛の詞を投げつけますのに・・
嗚呼、なんて素敵な権利でありましょう。。
ワタクシの為の権利ではありませんか。。
ありがたや。ありがたや。(変態妄想しばらく続く・・)
本気はさておき、

愚行権。
その行為自体愚行であるものか判断する基準にもよりますが、個人の自由、いや個人の責任が、対個人とあって個人だけに帰結するものであればなにも神経を尖らせる必要なんて全くないでしょうね。
しかし地域や社会、国家、宗教、地球環境に至る範疇では、愚行権それ自体が無象であってもその状況はまったく違った様相を呈し思いもよらぬ方向へ流れる恐れがなきにしもあらず、極めて注意深く使わなければならない権利でもあるのでしょうね。
国際化が進む中、ほんとバランスが難しいですね。
でも“愛があれば愚行権の侵害も愛情になります”
素敵すぎます☆
私の愚行も愛情に変わるかしら。。

いつもありがとうございます☆

投稿者: karen-t☆ (Dec 4, 2007 1:06:29 PM)

人を思いやれる心。一歩引いて相手の立場を思いやれる事だと思います。

投稿者: モンタ (Dec 4, 2007 1:36:01 PM)

為末さん、こんにちは。
『愚行権』、初めて知りました。
ですので、メッセージをかなり興味深く拝読しました。
国際問題となってくると、かなり難しいですので、私ではとうてい理解できません。

一般的に高い認識力や常識(これも何をもっての?となりますが)を持った人が、判断するという事も含んでいるようですね。
為末さんの言われる金八先生ではないですけど、暖かく辛抱強く、気付くのを待つ愛情としての愚行権なら良いと思いますが、我、関せずと言ったものなら、少しさみしい気がしますね。
意味を良く理解はしていませんが、根底に流れているものによって(愛情や思いやり)、愚行権の意味合いもかなり変わってくるように思えました。

ただ、きれい事ではなく、私自身腹を立てたり、許せないと言う感情があまり出てこないので、これは寛容なのか、社会や他人に対しての無関心からなのか、しばし自分の心と対峙してみたいと思いました。

いつも言っていますが、為末さんのメッセージは、幅があって本当に勉強になります。
ハードスケジュールの合間に、ブログの更新…ありがとうございます。

投稿者: hiromi (Dec 4, 2007 1:43:40 PM)

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